那覇市議会 2013-02-27 平成 25年(2013年) 2月定例会−02月27日-04号
当該地は、戦災復興の土地区画整理事業により造成され、区画整理事業当初の昭和30年ごろから、港湾労働者や工事業者相手の屋台やテント小屋が建ち始め、周辺の需要に応える形で拡大してきたものと考えております。
当該地は、戦災復興の土地区画整理事業により造成され、区画整理事業当初の昭和30年ごろから、港湾労働者や工事業者相手の屋台やテント小屋が建ち始め、周辺の需要に応える形で拡大してきたものと考えております。
時にはテント小屋みたいなものがあって、その山小屋みたいなところには、近くにはジャガイモが植えられたり、本当に黙認耕作地になっているんですよ。行ったら、心の中では笑うというのか、おかしいというのか、これでいいのかなということであります。 そしてその一帯の状況、簡単に説明しますと、遊歩道があって、遊歩道には魚の鱗状態で、フラワーポットみたいにたくさん、小間があります。そこは雑草が生えております。
人々は芋とソテツ、マース汁を食べて遺骨収集と、テント小屋つくりから村の復興を手がけていきました。大きな驚きはソテツのデンプンをモービル油、エンジンオイルで天ぷらにして食べざるを得なかった、下痢しながらも。このような筆舌に尽くしがたい悲惨な戦争体験、分けても一家全滅世帯数が476世帯で、一家全滅率22%、5軒に1軒強が全滅させられる。
ヘリ基地反対協の2004年12月12日」ということで、座り込み2639日、プラスの238日ということでこれは昨日、日曜日のテント小屋でまかれる新聞であります。これを私は一週間、発行責任を持っておりまして、昨日は日曜日でしたが、今日は新聞が休みでありません。
終戦直後、この数えうたが流行し、収容所やテント小屋の中で、かんから三線に合わせてよく歌ったというようなことでですね。こういう音楽、うたなども今度の平和音楽祭で取り入れないものかどうか。私は、かんから三線にも非常に興味を持っています。その唄にも興味を引くし、それからお互いがよく聞いています軍人節とか、そういうのもありますよね。
◆29番(新垣清涼君) なぜホームレスを取り上げたかといいますと、宜野湾市の野球場の裏側にホームレスの方が、あれはホームレスなのですけれども、小さなテント小屋をつくって住んでおります。認識されているかと思うのですが、そういうことがあります。
そのような状況の中、生き残った人々は、あすへの生きる希望を失い、失意のどん底にあえぎ、着るものもなく、食うに食なく、住むに家なしの中、米軍支給の食糧配給や軍服の払い下げ、テント小屋の支給等による、極めて劣悪な生活環境の中からようやく立ち上がり、復興への兆しが見えた時期でありました。
住民は戦禍から立ち上がるために逸早くトタン葺きのバラックやテント小屋で生活を始めたが、嘉手納基地の建設が進むにつれて、他の地域からの人口流入が激しく、基地に依存した形での街づくりが顕著になってきた。基地を背景とした街づくりの要請として、水道敷設が急がれることになった。水道敷設が基地と隣接した旧ビジネスセンター通り、現中央パークアベニューから着手されたのもうなずける。
テント小屋からブロック建て、そして鉄筋コンクリート、そしてプールもつくる。そうすると、この特約条項があれば、皆さんはその承諾料を、地主にあげなきゃいかなかったわけじゃないですか。なぜ特約条項を入れなかったのか。皆さんがつくった契約書であります。どうしてなのか、そのへんを具体的にご説明をお願いします。 ○副議長(大城勝夫君) 教育長、嘉手納是敏君。 ◎教育長(嘉手納是敏君) お答えいたします。